とある学校の中にある、教会。
ここには優しい神父様と、ちょっぴり怖いシスターリーダーのマザー、そして、とても元気なシスター見習いが暮らしていました。
シスター見習いの【水無川 愛梨】は、元気が取り柄の16歳。彼女はこの日、マザーの指示に従って大掃除を行っている最中、1冊のノートを発見しました。
それは教会を訪れた人が自由に言葉を記す、告白のノートでした。
(みんな、ここに来て良かったって思ってくれているんだ……。嬉しいな)
愛梨がページを捲っていると、小さい頃に幼馴染と一緒に落書きをしたページを発見しました。
『ぼくは神父さま、あいりはシスターになる』
『マザーのようなシスターになりたい』
もう子供ではないけれど、ずっと昔から変わらない夢。マザーのような立派なシスターになること。愛梨はその想いを大切にしていました。しかし、幼馴染は――。
「シスター愛梨、掃除は終わったのですか?」
そこへ少し厳しい顔をしたマザーがやって来ました。どうやら愛梨の手が止まっていることを気にしているようです。
「は、はい! 全て終わりました!!」
背筋をピンと立てて返事をすれば、マザーは途端に優しく微笑んでくれます。
「そうでしたか。お疲れ様です」
愛梨は、厳しいけれど本当はとっても優しいマザーのことが大好きでした。
「お2人とも、お疲れ様です」
するとそこへ神父様も姿を見せ、愛梨の手にあるノートを見て、懐かしそうに目を細めました。
「おや、それは告白ノートですね? 確かもうページが全て埋まってしまったので保管しておいたと思いましたが……」
愛梨は頷き、掃除をしている時に見付けたことを伝えました。神父様は愛梨と同じようにページを捲り、愛梨が書いたページに目を留めました。
「『マザーのようなシスターになりたい』これは、あなたが書いたのですね?」
「はい! 私の夢です!!」
愛梨が頷くと、神父様は微笑み、マザーも少し照れながら頷きました。
「ふふ、立派な夢ですね。諦めずに自分の信じた道を進めばきっと叶いますよ」
「ありがとうございます、神父様」
すると、その遣り取りを見ていたマザーが軽く咳払いをして言いました。
「シスター愛梨。確かにあなたが頑張っていることは認めますが、まだまだ半人前です」
マザーの言葉に、愛梨は頷きます。
「毎日を清く、正しく生きるのです。すべての物事をしっかりとその目で見て、耳で聞き、心で感じなさい」
「はい、マザー!」
「…………」
ふと神父様に視線を移すと、どうやら先程のページを少し寂しそうに眺めているようです。
「『ぼくは神父さま』、ですか。あの子は今、どんな未来を描いているのでしょうね?」
ぽつりと呟かれた一言は、マザーの耳には届かなかったようですが、愛梨にはしっかりと聞こえました。
神父様は、愛梨の幼馴染である自分の息子のことを気に掛けているようでした。
愛梨の幼馴染の夢は、立派な神父様になることでした。しかし愛梨が中学生に上がる頃、突然教会に来なくなってしまったのです。
(理由は分からないけれど、あの時信じた道は同じだった……)
愛梨は、目を閉じて幼馴染の顔を思い出します。そして、そっと目を開けた時、その瞳にはどこか幼馴染の面影がある神父様のやはり寂しげな表情が映りました。
(今の私に出来るのは、神父様の心を少しでも軽くしてあげることだよね)
愛梨は、神父様を真っ直ぐ見つめて言いました。
「どんな未来でも、きっと素敵なものですよ。だって、誠司さんですもの」
すると、神父様はハッと顔をあげて、やがて優しく微笑みました。
「そうですね。ありがとうございます、愛梨」
神父様は、愛梨のことを『シスター愛梨』とは呼びません。それは愛梨が見習いだからということではなく、本当の娘のように大切に想っているからです。
もちろんマザーも大切に想っているのですが、そこはシスターリーダーのけじめとして、愛梨に対して他のシスター見習いと同じように接しているのです。
「……それにしても、懐かしいですねえ」
神父様はパラパラとページを捲り、おや、と首を傾げました。そこには小さな子供の字で、こう書かれていました。
『もう1度ここに来て、今度はあの女の子と話してみたい』
(? 『あの女の子』……??)
愛梨が不思議に思っていると、マザーが愛梨を見て言いました。
「これは、あなたのことではないですか? シスター愛梨」
「え……?」
突然のことに驚く愛梨ですが、このノートを置いておいた時期を考えると、教会にいたのは神父様、マザー、愛梨の3人だけです。
「10年前ですか。ふふ、あなたはあの頃とちっとも変わっていませんね」
神父様はまるで昨日のことのように話しますが、10年といえばそれなりの月日が経っています。
「わ、私はもう子供じゃないですよ?」
愛梨が頬を膨らませると、神父様もマザーも笑いました。
「そういうことを言っている内は、子供なのです」
「ええ。あなたはいつまでも私達の可愛い子供のような存在です」
「もう……!」
怒ったようなふりはしてみたものの、愛梨は2人の言葉をくすぐったく、けれど心地好く感じていました。
(お父さんとお母さんがいたら……きっと、2人のようだったんだろうな)
愛梨に両親の記憶はありません。けれど、それを酷く悲しんだり、恨むことはありませんでした。
なぜなら、自分の傍には神父様とマザーという、素晴らしい人達がいてくれたからです。
そんな愛梨の視線に気付いたのか、神父様とマザーは優しく微笑みました。そして神父様は再び告白ノートに目を落とし、ゆっくりと語り掛けました。
「ここに書かれた想いもまた、書いた本人が信じ続ければ、きっと叶うでしょう。それは10年経っても、20年経っても色褪せません」
神父様の言葉を受けて、愛梨はこの告白ノートの大切さを改めて実感しました。そして愛梨は、ノートをもう一度教会に置くのはどうかと提案します。
「ページが埋まってしまったなら、新しいノートを置けば良いのではないでしょうか? もっともっと沢山の人に活用して貰いたいです」
愛梨の言葉に神父様もマザーもそれは良いことですと賛成してくれました。
そして新しい告白ノートが置かれることになり、最初のページには愛梨が代表して言葉を記すことになりました。
少し悩んだ末に愛梨が筆を置くと、丁度教会の鐘が鳴りました。三時を告げる音色に、マザーはそろそろお茶にしましょうと声を掛けます。
その言葉に愛梨は、私が用意しますと張り切って食堂へ向かいますが、ここは教会の中です。ドタバタと走ってはいけません。
先程まで微笑んでいたマザーも、途端に厳しいシスターリーダーの顔を取り戻し、愛梨の行動を咎めました。
こうしてお茶の用意に勤しむ愛梨と、元気いっぱいの愛梨を窘めるマザーと、2人を見てこっそり微笑む神父様の、いつもと変わらぬ時間がゆっくりと流れていきます。
その時、ふいに外から入ってきた風のいたずらによって、告白ノートのページが捲られました。
そこには、こう書いてありました。
「私はいつでもここにいます。今度は、たくさんおしゃべりしましょう!!」
真っ直ぐ元気良く書かれたその文字はステンドグラスに差し込まれた日の光を浴びて、キラキラと輝いていました。
物語は、もうすぐ始まろうとしています――。