Color of the world



 白い天井、白い壁、白いカーテン。
 わたしの周りを白が埋め尽くしている。
 白は、あまり好きな色ではない。
 こんな風に取り囲んで、色鮮やかな世界はわたしには届かないと言われているみたいだったから。

 窓の縁に手をかけて、身を乗り出す。

 冷たい雫が吹き付けて、少し肌寒く感じた。
 細い糸の様な雨。

 雨はあまり好きではない。

 こんな風に窓を開けていると、誰かに閉ざされてしまうから。
 そのたびに、わたしの世界がまた一つ閉ざされる気がした。


「未来ちゃん! 駄目よ、外は寒いんだから。風邪引いちゃうでしょ?」

「はぁい」


 ほら、またそうやって誰かが、わたしの世界を閉ざす。
 だから、雨が嫌い。

 雨で霞んだ窓の向こう。
 赤い傘をさした誰かの姿が見えた。

 カーテンを閉めた。
 僅かに見えた赤は、白で埋め尽くされる。


 辛い――――


 声に出して言ったことはない。
 簡単に口にすれば、わたしの為に頑張っている人たちの想いを裏切ってしまうと思ったから。

 わたしは、多分もうすぐ死んでしまう。

 不治の病。壊れたわたしの心臓。
 幼い頃から、そう長く生きられないだろうと言われてきた。


「君は、あと何年生きられるか分からない」


 お医者様からそう告げられた時、わたしは泣かなかった。
 幼すぎたわたしには「死」という意味が分からなかったからだ。

 ただ、わたしの周りにあるもの全てなくなって、それを悲しいとも思わなくなることなんだと、漠然と感じていた。
 けれど、そのことを言われた日の夜。
 今まで笑っていた父と母が嗚咽していた姿を見て、初めて「死」は怖いものだと知った。


 涙は二人の頬を伝って、吸い込まれるように下へと落ちていった。
 それは、まるで冷たい雨のように。


 次の日から、少しでも病気を治せる可能性のある病院を両親は探し回った。
 それが、どんなに辛く大変だったか、計り知れない。
 それでも二人は、わたしのお見舞いを休んだことは一度だってなかった。


 二人は言った。


「未来。未来の名前はね、過去に捕らわれず生きていくという意味なんだよ」

「大丈夫。未来は絶対、私たちが守るから」


 今になって思えば、あの時の言葉はこれから先に対しての決意の証だったのかもしれない。
 必死になって生きる道を探してくれた二人。


 どれだけ苦労したんだろう。

 どれだけ辛かったんだろう。


 だから言わない。


 絶望を突きつけられても、それでも残された希望を縋ってくれる、
 信じてくれる人たちがいることを知っているから。


「……お母さん、痩せた?」

「え、そう?」

「うん……」

「あのね……わたしも頑張るから、お母さんも頑張ってね?」

「何を言ってるの。そんなの当たり前じゃない。貴方にだけ辛い思いはさせないからね」

「うん。えへへ……ありがとう」


 日に日に疲れていく両親の姿を見て、わたしの心は痛んだ。
 長くは生きられないと言われながら、19年の月日を過ごしてきた。
 そのことが、どれだけ負担になったのか考えると、だらだらと生きてることが申し訳なくてしょうがない。


 ……本当は、わたしを見捨ててくれても構わなかった。


 そんなことをいったら、きっと二人は悲しむだろう。

 だから、わたしはいつも頑張っている自分を作っていた。
 頑張って、病気と闘って、生きたいと願う。
 それが、二人を裏切らないことだと知っていたから。

 だけどね? わたし自身はいつ死が迎えに来ようとも、平気だったんだよ?

 死ぬのは怖くない。
 人は、いつか死ぬもの。それが、早かろうと遅かろうと同じこと。

 死にたいと思ったことは何度もある。
 頑張るのは辛い。
 それが、終わるのならそれでも良いと思っていた。


 だけど、わたしが自ら死を選ばなかったのは、二人の存在と……


 ただ、白い世界の向こうがわにある鮮やかな景色が羨ましかったから。


「ほら。もうベッドに入ってなさい」

「はーい」


 閉ざされた、わたしの世界。
 鮮やかな世界を夢見てわたしは眠る。









「…………」

「…………さん」


 遠くで誰かがわたしの名前を呼ぶ。
 お父さんでも、お母さんでもない。
 わたしを呼ぶ声。


「…………」

「…………ん」

「ミクルさん?」


 眠りから目覚めて、瞳を開ければ、そこには淡い色の花が一面に咲き誇っている。
 そして、目の前にいるのは…………


「…………君は、わたしの夢の中の人?」

「酷っ! 俺のこと忘れたんスか!? って、まあここは夢の中だから、夢の中の人だってことは合ってるけど!!」

「ふふっ。嘘でーす」


 むくりと起きあがって、うーんと背伸びをする。
 息をすると、花の香りが体の奥に染み渡るみたいだった。

 そうか、わたしは夢を見ていたんだ。
 昔の夢。ここに来る以前のわたしの現実。

 そして、今ここに戻ってきたんだね。
 この夢の世界に。


「……なんか、久しぶりに夢見ちゃった」

「夢、ですか?」

「うん」


 夢の中で、夢を見る。
 すごく不思議なことだと思う。

 でも、この世界が何故夢だと分かるのか。
 それを深く考えたことはない。


「……なんか、不思議だよね。夢の中で夢を見るって。何が現実なのか、頭の中、ごちゃごちゃになっちゃうし」

「分かります。最初の頃の俺がそうだったし」

「ふふっ。確かに、すっごーく戸惑ってたよね?」

「そりゃそうでしょ。当たり前ですよ」

「当たり前……か。そうだね、当たり前だよね」

「はい」


 彼の言葉に、わたしは空を見上げる。
 青い、青い、空。


「……でも、分かるよ。ここは夢の世界なんだってこと……」

「そうなんですか?」

「うん……」


 空は限りなく、青く続いていく。
 この空の下では、雨は降ることはない。


 赤、青、黄……色とりどりの花が目の前に咲き誇る。

 手を伸ばせば、そっと触れることも出来る。


 わたしが望んだ世界。
 わたしが望んだ今がここにある。

 味気ない白は鮮やかな色へと変わる。

 そのことだけで、わたしにこれは夢だと自覚させるのに十分だった。


「……それで、君はここに何しに来たのかな?」

「え?」

「『え?』じゃないよォ! わたしの寝顔見たでしょ? 何しに来たの?」

「いや、まあ見ましたけど……」

「それで?」

「それでっていうか……ただ、ミクルさんの顔見たかっただけですよ」

「ちょっと他に行く所があって、たまたまここを通りかかったんです。そしたら、ミクルさんの姿が見えて」

「そうなんだ?」

「はい。……けど、良かった」

「え?」

「ミクルさん、元気そうで」


 そういって、君は笑う。
 わたしを真っ直ぐに見つめる。

 その度に、わたしの世界が静かに色づいていくのを知っている?

 わたしの世界。
 白く、ただ白く――――。

 だけど、君が変えた。


 いつもの様に他愛もないお喋りをした後、彼はわたしに別れを告げた。


「じゃ、俺そろそろ行きます」

「あ、うん。そうだね」


 君は、背を向けて歩き出す。後ろ姿に心が苦しくなった。


「ねえ……」

「え?」


 わたしの言葉に、振り返る。


「…………」


 言葉が詰まる。
 言いたいのに、言えない言葉。


「……頑張ってね? わたし、何があっても君の味方だから」

「ミクルさん……。ありがとうございます!」


 君が違う誰かの下に行ってしまう。
 『行かないで欲しい』なんて言えない。
 だって、わたしはいつか消えることが分かっているもの。
 君がわたし以外の誰かを想うのなら、尚更のこと。


「それじゃ」

「うん」


 小さく手を振って、別れを告げる。
 後ろ姿が段々と小さくなっていく。


「…………バイバイ」


 最後にそう呟いて、わたしは彼の姿が見えないよう後ろに向き直った。


 下を向けば、淡く色づく花がとても綺麗だった。


 青い空、緑の草花、傘をさしたような風車の赤。
 わたしの周りを色が埋め尽くしている。


 大好きだよ?
 例え、君の隣にいるのがわたしじゃなく、違う誰かだとしても。
 例え、わたしがいつかこの夢の狭間に取り残されて、わたしという存在が消えたとしても。


 君を好きで良かった。


 だから、もしもわたしが消えても泣かないで?
 わたしは、それでも本当に構わなかったから。
 だって、もうわたしの願いは叶ってしまったんだもの。

 ねえ、君を好きで幸せだったよ。
 少しの間だとしても、君と一緒に過ごせて嬉しかった。



 緩やかな風が、花を揺らす。



 色づくこの世界で、君に出会えて良かった。





END


「Color of the world」 小説執筆:藤元 // 挿絵:倉持 諭
(C)2006 TAKUYO co.,ltd.




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